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ブラジルの歴史 PART 1〜ブラジルの発見〜

今日から何週間かにわたり、ブラジルの歴史をカポエリスタの皆さんと一緒に勉強していきたいと思います!歴史を知ることでカポエイラにもっと興味を持てるかも★★
歴史好きのカポエリスタさん、楽しんで下さいませ!

まずは、ポルトガル人によるブラジルの発見について。

(1484-1497)
人口がかろうじて百万人に達したイベリア半島の王国ポルトガルは、大西洋とカスティレア(現在のスペインの一部)との間に位置していました。ムーア人の征服に対抗する数年の戦争が終結し、ポルトガル人の関心は次第に、航海により海外発展へと移っていきました。スペイン人が西回りで東洋への航路を探し求めていたのに対し、ポルトガル人は「南回り」と呼ばれる、アフリカの海岸を下るルートを選びました。バスコ・ダ・ガマ率いる船団は喜望峰に1487年に到達し、インド洋を渡り極東への航路を1497年に発見しました。ポルトガルはコロンブスが1492年に西インド諸島を発見する前に、既に大西洋の先に島が存在することを知っており、何度も遠征もしてみましたが、スペインやイギリス、フランスの野望を出し抜くため、そのことを口外することはしませんでした。ポルトガルのような小国にとって秘密主義でいることこそ、海洋のより強大なライバルに対抗して、海外遠征で得られた富を守る唯一の有効な手段であったのでした。

1494年に締結されたトルデシーリャス条約により、スペインとポルトガルの新大陸の所有をめぐる問題は、カーボ・ベルデ島の西370レグアを起点とした想定線の東方をポルトガルが、西方をスペインが所有することで解決しました。この想定線は、北極から南極に向かって南米大陸の東方を縦断しており、ブラジルの最初の国境を形成しています。しかし、ブラジルがペドロ・アルヴァレス・カブラルによって正式に発見されたのは、この条約締結から6年後の1500年になってからでした。

ムーア人:(英:Moors)は北西アフリカのイスラム教教徒の呼称。主にベルベル人を指して用いられる。

バスコ・ダ・ガマ:ポルトガルの航海者で、探検家である。
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<南アフリカ、ケープ半島南端の喜望峰>

コロンブス:イタリアのジェノヴァ出身の探検家・航海者・商人。大航海時代において最初にアメリカ海域へ到達したイタリア人である。
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トルデシーリャス条約:西経46度30分より東をポルトガルの勢力範囲、西をスペインの勢力範囲と定めた

ペドロ・アルヴァレス・カブラル:ポルトガル王マヌエル1世に顧問官として仕えたキリスト騎士団の一員で、彼が隊長として率いた第2回インド遠征隊は1500年4月22日、ブラジルに「漂着」した。
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